Monday, 23 April 2018 06:00

Restauration of Contemporary Art 3

Symposium 2004 Osaka
ペルニオーラ  「現代美術を修復するか、維新するか」という、疑問符つきの問題提起としてお話したいと思います。
 十五世紀から十九世紀までのヨーロッパにおいて、完璧な技法にしたがって描かれた油絵の耐久性は何世代にもわたるもので、しかも時を経るにつれて、その絵はますます美的、経済的価値を獲得していきました。このことはまた、谷村さんのお話にもありましたように、材料の定着や「古色(パーティナ)」の形成といった技術的理由に基づいてもいます。それによって作品はいっそう価値あるものとなるのです。「画家としての時間」という考え方が念頭に置いているのは、まさにこの経験です。この考え方によれば、作品は、芸術家による創造行為からは独立した、自律的生命をもつことになるのであり、さらに作品はその自律的な生命によって、自らよりよいものへと変化することができる、というわけです。
 こうした状況はしかし、既に十九世紀のはじめに絵の具の工業生産が始まったときに変わり始めていました。その絵の具は、画家の工房で職人が作ったものより大抵質が悪いものだったのです。さらに二十世紀に入って、技法の衰退は恐ろしいほど加速します。それは、従来の修復の規範を応用することができない新素材(例えばアクリルや人工のニス、紙、ビニールなど、不安定で互いの素材を同時に用いることができない材料や、急速に痛んでしまう有機製品)が利用されるようになったから、というだけではありません。それだけではなく(巨大なフレスコ壁画のような)伝統的技法にこだわる画家たちも、もはや何世紀にもわたって保存の可能な作品を生み出すだけの能力や実践上の可能性をもちあわせてはいなかったのです。それゆえ二十世紀において芸術作品の劣化が加速していくのは避けがたいことです。
 したがって現在、われわれはあるパラドックスを前にしています。つまり新しさやアクチュアリティに対する陶酔を極限まで推し進めた二十世紀という時代が、仮に修復に値するとしても、極めて困難な瓦礫の山として、われわれの前に姿を現わしているのです。それゆえに修復・保存に関わる問題全体は、例えばチェーザレ・ブランディ[一九〇六−一九八八、イタリアの美術史家、批評家]のように、かつて過去の作品との関連で理論化された場合とはまったく異なる用語によって提起されることになります。事実、現代美術は、単に従来とは異なる事物の制作に関わっているだけではありません。ロマン主義以降、西洋美術の本質そのものに関わる、何かいっそう深遠でラディカルな事態が生じたのです。すなわち「芸術」という語によって意図されるものに関わる認識カテゴリーが変化した、ということです。
 芸術家からははっきりと区別される修復家像が登場するのは十八世紀末、職人的な実践が科学的な用語へと翻訳されはじめたときのことでした。修復家という職業は画家から完全に独立し、大きな威信を手にします。つまり腕のいい修復家は無能な芸術家よりもましだ、と考えられ始めたわけです。しかしながら、まさにこのときから、芸術についての考え方が、修復家と芸術家のあいだで二分していきます。保存家や修復家の見方は、依然として作品を中心としていました。彼らによれば、作品というものは、時間の経過による劣化、あるいは偶然であれ故意であれ、トラウマ的な出来事によってもたらされた損傷による劣化から保護されるべきとされます。それとは逆に芸術家は、人間の手によって生み出されたもの以上の何かを芸術に見ようとし始めます。修復家や一般公衆の考える芸術と、画家、哲学者、美術批評家が考える芸術とが二分したのです。
 ところで、ハンナ・アレントは人間の活動力(activity)を三つの次元に分けています。それが労働(labor)、仕事(work)、活動(action)です。芸術は明らかに第二の次元(仕事)に属していますが、これに対応するのが、ホモ・ファベル(「工作人」)という人間像です。ホモ・ファベルとは、消費するための事物ではなく、自然の経過によって変化したり劣化したりしない限り、必ず残り続ける事物を作る生産者のことを指します。しかしアレントのいう労働、仕事、活動という三つの区別は、活動も労働も含みこんだ芸術、という考え方をもたらしたロマン主義の登場とともに次第に失われていきます。それゆえロマン主義とともに全体芸術という発想が生まれるのです。全体芸術は、政治的活動や経済的労働、さらには伝統的に考えられてきた意味での仕事と競い合うことになるのです。
 ロマン主義者にとって、芸術は「ほとんど活動に近いもの、つまり準活動quasi-azione」になります。準活動としての芸術は、軍事的、政治的活動とは異なるのですが、それらと競い合うことにあるのです。ルネサンス以前は芸術家に求められるのは「知の獲得」でしたが、ロマン主義以降は「知の獲得」だけではなく、「活動する、行為するもの」としての芸術家像がクローズアップされたわけです。二十世紀のアヴァンギャルドは、ロマン主義が開始した生産物に対する芸術活動の優位性を極限まで推し進めました。それによって芸術理論は、以下の三つの概念に分節されることになります。それは芸術l`arte、非-芸術 la non-arte(すなわちキッチュ)、反-芸術 l`anti-arteです(反-芸術とは、芸術経験が芸術的産物を超えた活動であるということを示す、さまざまな活動の総体を指します)。とりわけ二十世紀最後の三十年間(一九七〇年代以降)にその推進力を示したのは、最後の次元=反-芸術でした。反-芸術の次元は、イメージを否定したり破壊したりする立場、つまりアニコニズムや偶像破壊ばかりでなく、まさしく破壊主義やヴァンダリズムまで、芸術の世界にもたらしたのです。
 では、自己を破壊してしまう作品を修復することにどんな意味があるのか? これはまさしく、現代美術の修復という問題にいち早く着手した一人、ハインツ・アルトへーファーが提起した問いです。ジャン・ティンゲリーの自己崩壊していく機械、ディーター・ロートのチョコレートでできた作品を食べる虫など、この種の事例には事欠かないでしょう。
 ジャン・ギャラールが正しく定義したように、二十世紀における芸術作品の大部分は、「作品(仕事)のない芸術」です。芸術が行なうのは、もはや作品として定義しうる、人の手で生み出されたものの製造ではなく、時に些細で卑しいものでさえある活動です。つまりある事物を移動したり、向きを変えたり、名前を修正するにすぎないのです。芸術家であるということは、この活動に対する素質をもっていることなのです。しかしこうした活動は、厳密に言えば政治的アクションとは異なるものです。
 こうして芸術がモノを作り出すことではなく、ダダやシュルレアリスム、あるいはデュシャンに見られるように境界侵犯の活動になってしまったあと、芸術ははるかに大きなメディア的インパクトをもちうる他の象徴活動と競い合うようになります。例えば作家三島由紀夫の自殺のような事件には、政治的にまったく意味がないにしても、メディア的には絶大なインパクトがありました。いわゆる「三島事件」は、政治に接近し競い合うような、パラ政治的な芸術活動と考えることができるでしょう。学生たちの異議申し立てやテロリズムなどに関連した多くの事実についても、同じことが言えます。ドイツの音楽家カールハインツ・シュトックハウゼンによる、この上なくシニカルな提言もこのように考えれば説明がつきます。シュトックハウゼンによれば、9・11のツインタワー攻撃は、「想像しうる中で、世界最大の芸術作品」だったというのです。この発言には、ただの一度も本当に意義のある活動を果たせなかったロマン主義の芸術家が抱えていた、フラストレーションと挫折感とが表現されているではありませんか!
 以上、ここまではロマン主義以降、芸術という行為が政治的活動に接近していく過程をお話しました。ここまで私たちが検討してきたのは、現代美術が仕事と活動との差異を消失させようとしている、ということです。つまり成功を収めた芸術家は、活動の人として立ち現われるのです。そして明らかに、仕事と労働の差異もまた小さくなっています。芸術の創造が、資本主義経済に従属した装置と精神状態を再生産する、商業的論理に吸収されているのです。
 チェコの作家カレル・タイゲ[一九〇〇−一九五一]は、既に一九三〇年代に芸術的生産が同業組合のしがらみから解放される過程を巧みに描き出していました。この過程において、芸術家は完全な自由を獲得すると同時に、市場の奴隷になります。教会や検閲、同業組合組織の統制からようやく脱した芸術が、今度はすっかり金に従属してしまうのです。批評は宣伝広告に成り果て、コレクターという地位は投資家に奪われます。美術史は、美術館の利益のために書き綴られ、サインが売値を決定するのです。
 芸術の商業化における次の段階が生じるのは、ポップ・アートが登場し、美術市場がパリからニューヨークへ移り始めた一九七〇年代です。この一連の流れの中で非常に大きな役割を果たしたのが、アンディ・ウォーホルです。ウォーホルによって無価値なものと思われていた象徴界全体が商業化されるに至ったのです。以上のような過程を経て、ロマン主義以降、芸術家は活動の人となっただけではなく、(ビジネス・アートという言葉がはっきり示すように)一人のビジネスマンになったのです。
 しかしながら、現代美術はさまざまな事物を生産し続けています。まさにこの事物に、保存・修復家の注意が集中しているのは明らかでしょう。しかしこれら事物を、(十四世紀から十八世紀末までの)西洋美術の黄金時代の作品と同じように扱うことはできないのです。二十世紀の芸術の重要な側面の一つは、それが(真の意味でのコンセプチュアル・アートにおいて極まる)非物質化と概念化へ向かうということです。この傾向のかたわらにはもう一つ、正反対の方向へ進んでいるように見える別の傾向があります。それが素材礼賛という傾向です。以前にはなかった二千色以上の絵の具が使われ、そのうえ芸術にありとあらゆる種類の素材が導入されています(例えばセメント、鉄、鉛のような耐久性の高いものから、バター、チョコレート、チーズなどの非常にいたみやすいものまで)。しかしながらこうした二つの傾向は、じつは互いに矛盾していないのです。両者の到達点は、フェティッシュ崇拝です。つまり宗教、社会、心理の病理を芸術の水準に置き換えているのです。(パンケーキの天使やチョコレートの小人などのような)イート・アートの作品はその最たる事例であり、それらは(例えば溶かしたプレキシグラスのような)媒液に浸さない限り、保存することなどできないのです。ただしこの方法では芸術家の意図を裏切ることになりはしないでしょうか? なぜならその芸術家は明らかに自分の作品が腐りやすいものだとわかっていたのですから。
 以上がヨーロッパの現代美術についての話でした。修復という観点からすれば次の三つのことが、ヨーロッパにおける修復の担う課題として挙げられると思います。すなわち芸術的活動を文書に記録すること、芸術的事業の経済的価値を維持すること、フェティッシュとしての作品を保存すること。これら三つが西洋の現代美術作品の修復が担う役割であると思われます。しかし芸術的価値というものは一体どうなったのか、という疑問は残ってしまうわけです。  本来ならば、私のヨーロッパの修復・保存に関する話はここまでにすべきなのしれませんが、専門分野ではないものの、日本についても少し考えてみたいと思います。
 西洋の触発を受けた日本の芸術制作(いわゆる現代美術)もまた、ここまで私たちが検討してきたのと同じ問題に取り組んでいます。しかしそうであるにしても、その結果は、西洋の場合とは完全に異なるように思えるのです。  芸術的活動の問題について考察してみましょう。日本でも一九八〇年代以降、パフォーマンスや反-芸術的活動の増加がみられます。しかしながら、岡部あおみによれば、それは西洋の同じような出来事のもつ意味とは大きく異なる、いや正反対の意味をもつ傾向にあった、というのです。日本ではアヴァンギャルドの活動は儀礼的活動であり、例えばかつての茶会という儀式を、現代的なやり方で再びアクチュアルなものとしているのです。西洋では、活動が過去に対して新しいものだと考えられる一方で、逆に日本では、儀礼の反復的な側面が優勢であることになります。つまり西洋とは異なり、過去との対立ではなく、現在と過去の共存があるのです。もちろん日本でも芸術家が活動の人となったわけですが、その内実は大きく異なるものなのです。
 さらに仕事と労働との混同、芸術と日常生活との混同といった現代美術のもつ第二の側面においても、西洋と日本のアヴァンギャルドとでは大きな違いがあります。
 実際、一九七〇年代末に登場した、日本のポップ・アートに相当する「もの派」は、ポップ・アートとは正反対の原理から着想を得ています。千葉成夫が述べるように、日本の芸術の特徴は、(ポップ・アートがそうであるように)世界や環境から対象を分離することではありません。つまり事物が「芸術作品」になったとしても、対象は世界から分離されず、世界とともに、あるいはその対象が元々あった環境とともに芸術作品になるのです。
 したがってここでの私の仮説は、日本にはヨーロッパの近代性とは異なる近代性があるのではないか、ということです。つまり二種類の異なる芸術的なモダニティが存在するということです。
 最後に、哲学的、文献学的考察でこの講演を締めくくりたいと思います。英語では、芸術作品の修復と、近代日本の誕生を告げる政治的な出来事(明治維新Meiji restoration)を示すのに、同じ言葉restoration(イタリア語ではrestaurazione)を用いています。英語のrestorationには王政復古という意味もあって、十九世紀前半のヨーロッパ史の推移を指す言葉であり、革命revolutionという語とは対極の政治的な意味をもちます。西欧の人々にとって、revolutionとrestorationは互いに相反する対概念なのです。しかし日本語の「維新」は、revolutionやrestorationのいずれの語にも相当しません(ちなみに福沢諭吉は「革命」という語を明治時代の初期を指すために用いました)。他方でrestorationにはおそらく(今ではあまりなじみのない)「復古」という語を用いるべきでしょう。このことが原因で、「維新」という言葉は、西洋の言語では非常に訳しづらいのです。というのは、「維新」が、西洋の思考カテゴリーでは捉えきれないような変化を指し示しているからです。イタリアの研究者アレッサンドロ・ヴァロータが提案するのは、この言葉を維新rinnovamentoと訳出することです。ヴァロータによると、(坂本龍馬のような)維新の担い手とされる若き侍たちは「一新」という語を用いました。「一新」には、維新よりいっそう強い意味があります。「一新」という語の、「新しい」を意味する漢字である「新」の前にある「一」には全体の意が含まれているのに対し、(「ひも」を意味する)「維」が先にくる「維新」のほうでは、過去とのつながりや連続性が暗示されています。別の言葉で言えば、一八六八年の大転換は、過去の修復=復古restorazioneでも、ラディカルな革命revolutionでもなく、「維新」すなわちrinnovamentoと考えられるべきなのです(この部分の考察については加藤周一『日本文学史』を参照しました)。  こうしたものは西洋には存在しないカテゴリーであり、西洋近代とは本質的に異なる、日本の近代性がもつ特殊かつオリジナルな性質を表わしています。日本には現在と過去の関係を考える方法が存在し、その方法は西洋と大きく異なる、というのがここでの結論です。こうした考え方は、芸術ばかりでなく、政治や社会にも関わっているのです。
Copyright©MarioPerniola,2004
Translated from the italian by Hideki SABAE
Published in “Communications” (Tokyo) n.52, Spring 2005

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