Monday, 23 April 2018 06:00

Restauration of Contemporary Art 1

Symposium 2004 Osaka
シンポジウム「デュシャンと現代美術の修復・保存をめぐって」(12.2004)
岡田  このシンポジウムのタイトルに違和感を抱かれた方もいらっしゃるのではないかと思います。マルセル・デュシャンと現代美術の修復・保存には、一体どのような関係があるのか? その疑問がこのシンポジウムの出発点であり、主旨でもあります。
 最初に言えることは、デュシャン以後、あらゆるものが芸術になったという点です。芸術という名のもとに含まれるマチエール、素材、技法の幅が著しく増大しました。それは自然の素材から化学的、工学的、産業的マチエールまで、きわめて広範囲に及びます。脆くて卑近な素材や、食材すら使う芸術もあります。こうしたことは、それまでの油絵やブロンズ彫刻の修復・保存とはかなり性質の違う、困難な問題を提起します。変質や劣化のプロセスや度合すら、未知なものもたくさんあるわけです。
 次にデュシャン以後、作品そのものよりも、芸術家の行為や身振りに重心がシフトした、という点が挙げられます。例えばパフォーマンスやハプニングなどの物理的な構造と、その文化的・社会的メッセージの両方を、全体として保存することはほとんど不可能に思われます。また「具体」やアルテ・ポーヴェラのように、展覧会のたびに作り直されたり、組み立てられたりする作品もあります。さらには修復・保存という理念そのものに挑戦するかのような芸術や、たちまち古びることをあえて望む芸術などもあります。
 このように、芸術の革命児であったデュシャンは、伝統的な芸術作品の場合とはまったく性質の異なる修復・保存の、困難で微妙な問題を浮上させるきっかけとなった張本人でもあった、と考えられるわけです。デュシャン以後、すべてが芸術となってしまった以上、一体何をどこまで、どのようにして保存したり、修復したりするのか。そもそもすべての作品が長く生き延びるために製作されたわけではなく、自己破壊を目論む作品すら存在する以上、芸術や文化財の保存・修復といった啓蒙主義に遡る理念そのものが、現代芸術に一体どこまで当てはまるのか? 作者がまだ生きている場合にはどうなるのか? あるいは作者の意図と作品の論理とが矛盾してしまう場合にはどうすればいいのか? といったさまざまな問題を、デュシャンはわれわれに投げかけていると言えます。
 というわけで、これまでわが国ではあまり議論されてこなかった現代美術の修復・保存というテーマについて考えてみたいというのが、このシンポジウムを企画したきっかけです。さらにこうした問題は、現代芸術全般の美学的、哲学的な問題とも深く関わることになります。しかも倫理的、法的な広がりをももつもので、そのすべてをこの短い時間の中で議論することは不可能ですが、このシンポジウムがこうした議論の誘い水になれば幸いに思います。というわけで今日はあえて立場の異なる四人の方々にお集まりいただきました。アーティスト、美学者、修復家、美術館の学芸員、それぞれの立場から、デュシャンが投げかけた問題についてお話いただき、会場のみなさんも交えてディスカッションできればと考えています。
 最初に、本邦初の本格的なデュシャン展を企画された国立国際美術館の平芳幸浩さんに話の口火を切っていただきます。平芳さんは学生時代からデュシャンを研究してこられ、この展覧会は平芳さんにとってある意味で一つの総決算でもあります。
 続いて、修復家の谷村博美さんは修復・保存の本場オランダで、特に紙の修復を中心に長年研究されてきた方です。谷村さんはまた、デュシャンの《トランクの中の箱》をかつて三つ修復したことがおありだそうです。  次に、現代を代表するアーティストの一人である岡崎乾二郎さん。作家としての立場から、広く現代美術とその修復・保存、あるいは美術館のあり方について、忌憚のないご意見が伺えるものと思います。  最後に、ローマ大学のマリオ・ぺルニオーラ先生には、ご専門の美学・哲学の立場からお話いただきます。ペルニオーラ先生は、アカデミックな美学・哲学の枠にとどまることなく、一九六〇年代以来、シチュアシオニストやアルテ・ポーヴェラといった前衛的な芸術・社会運動に積極的に関わってこられ、多くの著書——例えば『エニグマ』(一九九〇、邦訳一九九九)、『芸術とその影』(二〇〇〇)、『無機質なもののセックス・アピール』(一九九四)など——が欧米各国の言語に翻訳されており、その著作の中でも現在の芸術と文化と社会について鋭い分析を加えています。

平芳  美術館に勤務する立場から、また今回のデュシャン展の企画者として、デュシャン以降、美術作品の保存と修復という問題がどのように変化しているかについてお話したいと思います。
 まず、美術作品を保存・修復するということが、美術作品がもつと信じられている美的価値の永続性のようなものを保証することでは決してなく、古いものであれ新しいものであれ、あらかじめ「死す」「なくなる」ことを運命付けられたものに、一種の延命措置を施し続けることであるということを自覚することから出発しなければならないと思います。その自覚がなければ、とりわけ二十世紀以降の美術作品の収集・保管という問題に向き合うことはできないでしょう。それはデュシャンとともに、あるいはデュシャンの時代に前景化された問題です。その理由は二つあると思いますが、一つは耐久性が証明されていないさまざまな素材、伝統的な絵画や彫刻で使用されてきた素材ではなく、工業製品をはじめとしたさまざまな素材が、耐久性がまだ証明されていない時点で次々に使われ始めたことによって、作品の劣化速度が急速に加速化したという現実的な問題です。もう一つは作品そのものの持続性への意識が、作家の側でいかに変化したかという内面的な問題です。こうした二つの問題を、デュシャンの作品に見ることができると思います。
 最初にデュシャンのレディ・メイドを通して、作品の持続的価値への意識の変化を見ていきたいと思います。デュシャンは一九一三年、台所用のスツールに自転車の車輪を逆さまに取り付けた《自転車の車輪》から、既製品を使った作品を発表し始めたと言われています。それがのちにレディ・メイドという名前で呼ばれるようになるのですが、今ご覧頂いているのは一九一四年、パリで購入された《瓶乾燥器》という作品のレプリカです。次のスライドは有名な一九一七年の《泉》というタイトルが付けられている男性用小便器です。この二作品を紹介した理由は、そもそもデュシャンがこれら二つの事物を選んだ時点で、これらがのちのちモノとして残されることが、ほとんど意識されていなかったのではないかと思われるからです。《瓶乾燥器》はその後デュシャンがニューヨークへ移った際にも、パリのアトリエに放置されたままで、そのまま無くなってしまいますし、《泉》は、ニューヨークのアンデパンダン展で出品拒否された後、アルフレッド・スティーグリッツの画廊に運ばれ、写真撮影をした後やはり行方不明になります。デュシャンのレディ・メイドは作品として構想され、いったん姿を現わして、そのまま立ち消えて今は残されていない作品が他にも数多くあります。その意味ではレディ・メイドは、ある瞬間、ある場所で生起するものとして、ある特定の時空間に発生するものとして考えられている側面があるのではないかと思います。その一つの代表例が《不幸なレディ・メイド》と呼ばれている作品です。デュシャンはニューヨークからパリに住む妹シュザンヌに手紙で、「バルコニーで幾何学の本を一日風雨に晒すように」と指示を出し、それを彼女が実行したのです。それは、現代美術でいう「イベント」とか「ハプニング」と通じるような、非常に限定された場所と時間での一回性に密接に結びついているタイプの作品です。
 デュシャンがこうしたレディ・メイドでそもそものオリジナルと言えるものを残してこなかったことがいろいろ解釈され、無くなったレディ・メイドを他の人が再購入する事態が起きました。つまりレディ・メイドは、オリジナルとレプリカの価値に差異はない、という考え方をデュシャンが提起したのだという解釈のもとで、同じようなものを買い、そこにサインをすれば、デュシャンがオリジナルとしてやったことと同じ価値をもつと言われた。実際《便器》も《瓶乾燥器》も、いくつもの再購入作品が存在します。そうなると作品の視覚的情報の同一性、つまりオリジナルの状態にできるだけ近いかたちの維持が作品を保存・維持の方向性を決定付けるわけではない、という事態が生じました。つまり視覚的同一性こそが作品のオリジナリティを保証する、という神話はもうここでは通用しないことになります。
 だからといってデュシャンを取り巻いていた人々が、視覚的に違っても概念的に同一であれば作品の価値は同じであるとまでドラスティックに考えていたとは言えません。それが、オリジナルとレプリカ、あるいは再制作の価値や、実際の金銭的価値の揺れとなります。例えば一九六四年にミラノのシュワルツ画廊がデュシャンのレプリカを再制作するときの目標は、オリジナルにできる限り忠実に再現するという、デュシャンのレディ・メイドが考えられてきたのとは非常に逆説的な、「オリジナル回帰主義」でした。
 もう一つ別の問題である、二十世紀に入って作品の劣化が非常に急速になるという事例として、デュシャンの《大ガラス》を例に挙げて見ていきたいと思います。これがフィラデルフィア美術館の「デュシャンの部屋」にある《大ガラス》のオリジナル・ヴァージョンです。今回の展覧会で展示しておりますのはこれではなく、一九八〇年に作られた東京ヴァージョンです。オリジナルは無数のヒビが入った状態になっています。これは一九二三年にデュシャンが途中で制作放棄した後、一九二六年にブルックリン美術館の国際近代美術展で一度展示されますが、それが終わって運搬中のトラックの中で割れたと言われています。一九三一年にデュシャンはそのことをドライヤーから知らされて、一九三六年に自らの手で修復しました。現在は、オリジナルのガラスがひび割れているため、それを前後から二枚のガラスで挟んで床から固定しています。この《大ガラス》には、ガラスの上に鉛、油絵具、ニス、ホコリなどが貼り付けられて制作されています。デュシャンはいろいろな実験を繰り返し、ガラスへの定着に関しては成功しているのですが、それぞれの素材が混合されることで急速な劣化が発生しています。これは「濾過器」と呼ばれている部分で、そこにホコリがニスなどで固着されていますが、かなり褪色が進んでいます。これは「チョコレート磨砕器」と呼ばれている部分で、おそらくひび割れの影響で、全部のイメージの輪郭を形作っていた鉛の針金が随分外れており、しかもかなり腐食が進んでいます。
 ただしデュシャンはこのような劣化も、制作のときから想定していたと言われています。オリジナルのガラスが割れていて、作品の定着部分に修復家がなかなかアクセスできないということもあるんですが、それ以上にデュシャンが劣化すること自体を作品の意図として込めていたと考えられています。したがってフィラデルフィア美術館としては、ひたすら記録を取りつつ経過を見守るしかない、という考え方のようです。左側がオリジナルで、右が東京ヴァージョンです。もともと写真の色味が違うので、厳密な比較にはなりませんが、「九つの雄の鋳型」と呼ばれる部分を並べてみると、元々はこれくらい赤みのある色が使われていたのに、既にほとんど色味が落ちてしまっています。おそらく東京ヴァージョンも、ある年月を経るとオリジナルのような状況になることは不可避でしょう。じっさい、当時を知る人たちに言わせるとかなり褪色が進んでいるそうです。「色が落ち着いてきたねえ」という言い方をされる方もいらっしゃいました(笑)。それくらい、この作品の修復は、作品概念をめぐる論争が起こらざるをえないのだろうと。ひび割れがあることが事態をさらに複雑にしているのですが、元の状態に戻す、あるいは褪色の進行を食い止めるような処置を施すことが、必ずしも作品を十全に残すことと一致しないという事態になっています。
 もう一つご紹介しますのは、デュシャンが一九四六年から六六年まで二十年間かかって、誰にも教えないままこつこつ作り続け、死後に遺作として発表された作品です。フィラデルフィア美術館の「デュシャンの部屋」の隣にもう一つ小部屋がありまして、その部屋にスペイン風扉が壁に埋め込まれるようなかたちで展示されています。その扉の穴から中をのぞくと、ご覧頂いているような情景が目に飛び込んでくるという作品です。この作品が、どのように保存・メンテナンスされているのかという点をフィラデルフィア美術館に聞いたのですが、情報公開はできないという回答でした。彼らもまた非常に微妙な問題を抱えているんだなあと感じました。扉の向こう側にある内部は、現在も公開されておらず、美術館の学芸員やスタッフでさえ、よほどのことがない限り内部には入れないそうです。フィラデルフィア美術館に遺贈するときに、デュシャンはこの作品を自分のアトリエで解体し、現地で組み立てるためのマニュアル本を書いています。一九八七年にフィラデルフィア美術館から表紙の黒いその本が出版されました。その中に内部の写真が掲載されています。参考までにお見せすると、これはデュシャンのアトリエでの写真で、ここが扉部分の裏側で暗幕がかけられ、ここがのぞき穴から見た光景の内部を縁取っているレンガ部分です。向こう側には木のテーブルがあり、上には茂みと人形が置かれています。こちら側が背景になる風景が置かれているという状態です。《与えられたとせよ1.落ちる水2.証明用ガス》というタイトルが付いていますが、「照明用ガス」とは人形が左手で掲げているランプを指しています。もう一つ「落ちる水」という部分の背景には滝が流れていまして、今回のステロ写真での再現で、唯一オリジナル通りに再現できなかった部分です。オリジナルでは滝のところが明滅し、実際に水が流れているかのように見えます。その仕掛けは、この部分、無数の穴が開いた円盤がモーターで回転し、ここにビスケットの缶があり、そこにランプが入っているという、非常にチープといえばチープな作りになっています。横たわっている人形に当てられる照明もすべて完全にセッティングされていて、150Wのランプが四つと40Wの蛍光灯が三本セッティングされ、この状態のまま四十年くらいフィラデルフィア美術館で、豚の皮で作られた人形を燦燦と照らし続けています。今私たちがフィラデルフィアに行って覗き込んだときの状態が、六〇年代の状態からどれほど劣化しているかを判断する要素は何もありませんが、かなりの部分が非常に細かいメンテナンスをされているのだろうと思われます。これがデュシャンがノートにして残した照明プランです。非常に強い照明が人形に当てられているのが分かると思います。
 最後に今回の展覧会で実際的な問題として生じたことをお話します。久保田成子さんの《自転車の車輪1・2・3》という作品を設置するときに、液晶モニター部分がショートして映らなくなってしまいました。これには非常に困りました。なぜかというと、このサイズの液晶テレビがもう生産されていないからです。結果的には久保田さんご本人から予備のモニターをいただき、事なきをえたのですが、作品を元のように維持する保存・修復が、もはや個人レヴェルを超えていて、例えば同じ液晶モニターを個人で用意することが絶望的に不可能だということです。ではそういった場合、どういう判断で保存・修復を考えていけばいいのか。電気機器を使った作品は、それが制作された時点でその作品の寿命があらかじめ決まってしまう。したがって美術館も作家も、この寿命をもって作品が終了すると考えるのか、あるいは形態を変えつつ生き残らせていくと考えるのか、あるいは例えば作品が作られたときに、予備のモニターを百個二百個買っておいて、壊れるたびごとに交換するべきなのか、考えていかなければならない事態になっています。結果的にはケース・バイ・ケースになるとは思うんですが、家庭用テレビでも4:3の比率のモニターを購入する選択肢が狭まり、ヴィデオもアナログ信号がなくなるという状況で、同じような再生・保存記録を行なうメディアを私たちはもち続けることができるのかどうかという問題に直面しています。
Copyright©MarioPerniola,2004
Translated from the italian by Hideki SABAE
Published in “Communications” (Tokyo) n.52, Spring 2005

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